足利演奏旅行 生田美子
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- 2015年10月16日
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平成二七年十月十六日、ピアノ演奏頼まれ足利市を訪ふ。足利に生れニューヨークにて学びたるフルーティストと共演するが為なり。ピアノは巴里起原の一九二五年作られたるものにて「プレイエル」と銘うたれ、ダブル・エスケイプメントと呼ばるる機能にて現代のピアノに近き作りなり。甘美なる音色ゆえ、美しき旋律を創作したるフリデリック・ショパンの好みたる楽器なり。さらに透かし紋様の彫られし譜面台の両端に当時の生活を偲ばする二つの燭台ありて、まさに宝飾品とも云ひ得べし。プレイエルなる歴史的に位置づけられたる、所謂ヴィンテージ楽器を現代の今奏するに、作曲家の楽器への強き思ひを意図せること想像せられうる楽しみは格別なり。
フルートは倫敦にて一九〇〇年頃制作せられたる「ルーダル・カルテ」てふ、木による楽器を用ゐて演奏せられたり。かくして凡そ百年前のピアノとフルートの二つの音融合せるによりて「100年コンサート」と題し、昨年にひきつづき「足利歴音会」により企てられたる会なり。
本日の曲目は、耳に快きモーツァルト作品に始まり、続きてオペラの如き味ひ深きドニゼツティ、仏蘭西のエスプリの趣きを想起せしむるフォーレを経て、(和)琴奏者が出演す。ショパンの旋律を奏づれば、プレイエルのうるはしき音色に感慨一入なり。次なる華やかなるカルメンにて拍手の嵐をたまはり、アンコールにて今様風の七五調歌詞と西洋音楽の旋律合はさりし「荒城の月」、わが編曲にかかる合奏作品も奏したり。ヴィンテージ楽器なるピアノとフルートの饗宴よりは典雅の極致なる響き生まれ、聴衆の心をゆるがし、喝采の拍手を得て終演す。
翌朝、演奏会の拍手の余韻にひたりつつ、足利一族の歴史を辿るべく一族発祥の地を二時間余歩く。真言宗鑁阿寺、はたまた織姫神社なる歴史的建造物数多くあれど、足は日本最古の学校なる足利学校へ向ふ。
入場券は入学許可証の形とりたれば、学生の如き気分となれり。校門をくぐり行くに、一本の木あり。往昔、難解なる言葉を紙に綴りて枝に結ぶならば、翌日答現るるによりて、「字降松」と申し伝へはべる。懐かしき学生時代の漢字試験おのづと思ひ出づ。足利学校の創設年代は不明なり、然れど全国より学生集まりて我が国の発展の一助となりたる由。その教育方針、自ら納得ゆくまで学びて卒業すといふところより、生涯学習の原点とも言はれ、「自学自習」の精神はなほ後世までつながりたり。例へば足利学校にて学びたる吉田松陰の開校せし松下村塾、自学自習を教育の基本とし、自ら考ふる力を身に着けることによりて自立心、思考力、創造力を養ひ、発明、発見、はたまた革新、進化にまで及び、つひには社会貢献を目的とするに至る。思へば、ピアニストの常なる訓練こそ自学自習の精神なくしてはありえず、殊に歴史的楽器を用ゐて演奏することの深き意義そこにあれば、当時の演奏様式を単に模倣するのみならず、伝統を超え現代における創造的演奏を目指すことによる音楽の革新こそ重要なりと思はる。然して演奏解釈といふもの、演奏家の個性の自己犠牲の結果なれば、ピアノをとほして音楽美を伝へうる伝道者たること、これピアニストの責務なり。
さらには作品に個性を表現し創造的な作品を生まむと努むる作曲家とて、自学自習を旨として作曲せしも、よき作品となりたる暁は、個性を越え普遍的なるものになりて諸人に愛さるるに至ることこそをかしけれ。トマス・スターンズ・エリオット曰く「芸術家の進歩とは絶えざる個性の滅却」、之また真実なり。
今囘の足利演奏旅行は、我が国の知の結集せられたる地にて日本、外国双方の音楽を演奏しえ、足利学校訪問にて感得せられたる歴史的楽器演奏を通しての演奏家の心得べきことを再認識し、音楽を通しての喜びを社会に還元することにより創造的社会貢献をなすべしとの決意を固めたる、感銘深き出来事なりき。足利学校の土産に買ひし論語の本を読みつつ帰路に着きぬ。